新着情報

2016年12月6日(火)
 12月議会一般質問について
2016年9月8日(木)
 ・9月議会のお知らせ
 ・湯浅止子後援会2016年度総会のお知らせを掲載しました。

2011/04/11

市川は民話の宝庫です。

市川は民話の宝庫です。
「真間の手児奈」「八幡のやぶしらず」「平将門」などの有名な話のほかにも、おもしろい話やかなしい話など600以上の民話が語り伝えられています。
語りや紙芝居などで市川の昔を知り、民話の世界を味わいませんか?

市川の代表的な民話の一つ、今でも続いている国府台の辻きりをご紹介します。
4匹の大蛇が今年も国府台を守っています。

辻切り(つじきり)

むかしむかしあったとよ。
今から五百年ほど前の室町時代のこと。市川の国府台の辺りは、まだ草深いいなかで、村人たちはお百姓をして暮らしていました。
そのころ世の中はたいそう乱れていました。
国のあちこちで戦の絶える間がありませんでした。
市川でも、戦さのあるたびに、田畑はふみ荒され、人びとは不安な毎日を送っていました。

そんなある年のこと、春から天候が不順で稲の育ちが悪く、村人たちはたいそう心配をしていましたが、夏になって暑い日が続き、秋には豊かに実りました。ところが、さあ刈入れというところで、一晩恐しい台風にみまわれ、田畑の作物は、吹きとばされ、おし流されて、春からの苦労も水の泡となってしまったのでした。
そのうえ、台風のあと国府台付近の村から悪い病気がはやりだしました。一度その病気にかかると、高い熱が続き、下痢や吐気が止まらず、体がかさかさにひからびて死んでしまうのです。

村人たちは、家の戸をかたくしめて、ただ神さま佛さまにお祈りするばかりでした。やがて冬になって、木枯しの吹くころになると、さすがの病気もおさまりました。村人たちはなんとか元気をとりもどし、新しい年を迎えると、氏神さまの天満宮に集まって正月の祝酒をくみかわしました。

「全く去年は、ひどい年だったのう。」

「今年は、いい年にしてぇもんだ。」

「なんかいい方法はねぇだんべか。」

村人たちは、あれこれと考えましたが、なかなかいい考えが思い浮かびません。
そのとき、ひとりのじいさまが口を開きました。
「これは、都からきた坊さんから聞いた話だがな、上方の村々では、大蛇を作って村の四すみにおくそうじゃ。すると、その蛇が、いろいろな災いが村にはいるのを防いでくれるのだそうな。これは、都の天子さまのご殿からはじまったことなのだそうじゃ。ひとつこの村でもやってみたらどうじゃろう。」
村人たちは、わらをもつかむ気持ちで賛成しました。

次の日、村人たちは、わらをもって、天満宮の境内に集まり、大蛇作りにとりかかりました。まず、わらを、たて、よこに組み合わせて頭を作りました。そこへ、わらの灰を包んだ半紙を丸くして、まん中にすみで目玉をかいたものを二つ作ってくくりつけ、目玉の上にはびわの葉をさして、耳にしました。それから、その頭と別に作って置いたわらの胴を結びつけると、二メートルあまりの大蛇ができあがりました。その大蛇の首に、将棋型の板をとりつけ、「村内安全」と書きました。こうして四匹の大蛇ができあがると、この大蛇に、いきおいよくプーッとお酒を吹きかけました。これは、村を守ってくれる大蛇にお酒を飲んでもらうためです。

村人たちは、できあがった大蛇をかつぐと、村の入口にあたる東西南北の四つの辻の大木にからませました。こうして、大蛇は来年まで風雨にさらされながら、嵐、日照り、悪病など、あらゆる災いから村を守るために目を光らせたのです。
その年は、天候にも恵まれ、悪い病気もはやらず、村人たちは、豊年祭をすることができました。
それから国府台では毎年一月十七日には、氏神さまの天満宮に集まってわらの大蛇を作り、古い大蛇ととりかえることになったのです。

やがて方ぼうの村むらでも、村の辻つじ(十字路)に大蛇をおくようになり、いつしか「辻切り」とよばれるようになりました。
今でも国府台では昔のままの大蛇が東西南北の四つの木の上から目を光らせて災いから守ってくれているのです。




市川の図書館のホームページにもいくつかの民話が掲載されています、
http://www.city.ichikawa.lg.jp/library/db/1018.html

0 件のコメント:

コメントを投稿